市内を巡る掘割の総延長は約930km。
街の中を縦横に走る掘割は約400年前、柳河(柳川)藩主が城下に水を引き
込むために矢部川等の河川改修を行い、城の周囲には戦に備えて幾重に
も堀をめぐらせたことに始まります。
柳川は今も数百の神社仏閣があり、
風流や祇園祭といった集落が受け継ぐまつりが多いまちです。
水天宮や、おにぎえの囃子の太鼓や笛の音、どんこ舟の上で感じる白秋祭の賑わい。
五感に響く、柳川の花とまつりです。
明治以降、堀に船を出して遊ぶ「川遊び」は盛んに行われていました。
柳川出身の詩聖北原白秋が帰郷した折に「川遊び」を楽しんだ様子を
写した写真も残っています。
川下りの始まりは昭和27年の市制施行記念事業でした。
昭和29年、北原白秋の少年時代を描いた、芥川賞作家長谷健(本市出身)
原作の『からたちの花』が映画化され、本市でロケが行われ、
映画の中の「川遊び」が全国から注目されるようになりました。
昭和30年、柳川商工会議所の有志が有料の川下りを運行。
昭和40年には冬のこたつ舟が登場。
現在は5社の船会社が1時間10分の川下りの旅を案内しています。
年間150万匹が食される柳川名物の「鰻の蒸篭蒸し」。
川下りができる堀の周辺にも多くのお店が軒を連ねています。
柳川出身の詩聖、北原白秋の生家は
江戸後期の建造と伝わる商家造りの木造建築で、明治34年(1901)の
沖端の大火で奇しくも焼け残った主屋・穀倉から成ります。
また、城内地区の東辺の掘割に臨む「並(竝)倉(なみくら)」は、
明治期に創業した鶴味噌醸造の工場敷地及び建築・庭園から成る。
主屋及び店舗は明治期の木造建築の佇まいを伝え、
大正期の3棟から成る煉瓦造の倉庫建築は
今なお麹室として使われています。